二浪之愚記

浪人の末に全落ち。高卒労働者の随想。

浪費癖と過労で消耗する人生

 

金と時間の浪費が止められない。働きに出る度に辛くて苦しくて死にたくなるのに、何故この生活を変える努力ができないのだろう。仕事の日は毎回ここから這い上がりたいと強く思うのだが、休みになると勉強もせず、ただひたすら散財してラットレースに嵌ってしまう。頻繁に金で「生きる理由」を購入しないと、すぐにメンタルが壊れてしまうのだ。刹那的な快楽を消費することでしか眼前の労働を耐える意義を見出せない。

こうして私は底辺労働から脱する機会をことごとく損失してゆく。金と時間の余裕が常になく、精神は疲弊し身体は痩せ細る一方である。

俯瞰的に見れば私はきっと、自ら望んでこの苦行のような人生を続けていると思われているのだろう。少しでも貯金をして、少しずつ知識を積み上げてゆけば、もっと楽な生活に辿り着けるのに、私はそれを拒んでしまう。もはや完全なマゾヒストと思われても文句は言えない。

 

労働と消費の永久機関に成り下がった自分を内省する度に、思うことがある。

資本主義のゲームから完全に降りて、金も女も名誉も諦めて、無産の生き様を追求出来ればどれほど楽になれるだろうか。他者と自分を比較するのをやめて、欲を捨て切った悟りの境地に達すれば、この地獄の様な生活から抜け出せるのではないか。

その様なことを考えては、自分の中で凝り固まった醜い欲望の数々に気付いてうんざりする。短絡的なな豊かさを諦めることの難しさが、私の人生の最大の障壁となって聳え立っている。

うまい酒が欲しい。快適な家に住みたい。女にモテたい。毎月旅行に行きたい。遊んで自由に暮らしたい。

本来私はこんな勝機のない目標で消耗している場合ではないのだ。自分の心身と社会的責任のバランスを取りつつ、その中で生きる意義を探して行かなくてはならない。ステレオタイプな勝組の虚像を追いかけるのはやめて、堅実で健全な生活を築かなくては、小さな幸せすらも始まらない。

現状の生き方はいずれ破綻することが決まっている。金と時間を嗜好品に投じて労働の燃料に変換するサイクルは、一度止まれば原理的に再開不可能なのである。身体か精神のどちらかを壊して燃料切れになれば、もう働くエネルギーが湧いてこない。

やはり労働やそれに付随する社会貢献に対して価値を見出さなくては社会人を続けてゆくのは難しい。金の為と割り切って虚無に耐え続ける人生では、あまりにも茫漠としていて正気が保てない。

とにかく労働で何かしらの達成感を味わってみたい。その第一歩が踏み出せれば、少しずつ人生が好転する筈だ。最近は強くそう思う。