二浪之愚記

二浪ニート→三浪警備員→四浪期間工(いまここ)

【多浪的思考回路】不勉強な浪人依存者の生き方

 これまでの浪人期間を振り返ってみても、ろくに勉強をしていた記憶がない。浪人ともニートとも社会人とも明言できぬ中途半端な存在として、フラフラとこの世を彷徨い続けてきた。
そして気が付けば21歳。有り体に言えば四浪の歳である。
やはりどう考えても、私に大学受験というレースは向いていないのだ。そんなことは、浪人生活を始めるずっと前から気付いていた。才能も無く、努力する気も無いのであれば、さっさと受験勉強から手を引くべきなのは自明であった。
ところがそうは問屋が卸さない。過去の記事で散々語ってきた通り、学習は苦痛だが大学には行きたいという支離滅裂な思考が、私の人生をずっと蝕み続けてきたのある。もう一年浪人すれば大学に行けるのではないかという楽観的な幻想が、自尊心崩壊を阻止する精神的支柱として機能してきたことを、私は否定出来ない。このような有様では浪人依存と言われても文句は言えまい。
しかしこればかりはどうしようも無いことであり、誰にも理解されないことでもある。私にだけ掛けられた呪いのようなものとして受け入れてゆくしかない。なんとも珍妙な呪いである。

とはいえ四浪まで来ると、一般的な社会のレールに乗って生きてゆく王道ルートは完全に閉ざされているように思われ、ある意味で気が楽ではある。もはや四浪するのも十浪するのも似たようなもののように感じてくる。
このまま「受かるまで受験していればそのうち受かるだろう」という舐め腐ったメンタリティで生きてゆくのであれば、浪人生活を持続可能なライフスタイルとして確立することは必須事項である。
私がこなせる学習量には絶対的な限界があるので、残りの時間的・精神的リソースは出来るだけ経済活動に捧げてゆきたい。学習出来ないことに対する自己嫌悪で病んでいた今までの時間は本当に無駄であった。自分に長時間の学習は出来ないものだと開き直って、他に生産的な活動をしていた方が何倍もよい。いっそのこと金を稼ぐことをメインにして、その合間に細々と受験勉強を続けてゆく方が、よっぽど健全な生き方なのである。

一般的に、現代の日本では将来のキャリアを見越して大学受験を経験するという風潮があるが、もはや私はそれに逆行する者である。大学受験の成功の為に、金を稼ぐ。大学生になった後の余生は蛇足みたいなものだから、適当に考えておけばよい。

とりあえず直近の目標は派遣労働の量を減らすことだ。収入源を可能な限り分散してゆく。その中で自分が得意そうなことを見極めて、徐々にそこに比重を増やしてゆく。このブログもまたその稼ぎ口の一つである。

そしてもう一つの目標は一人暮らしの実現である。これに関しては2、3ヶ月以内に達成するつもりだ。どうして私が一人暮らしにこだわるかというと、浪人生活に対して誰にも文句を言わせないためには、生活レベルでの自立が必要だからである。食事も洗濯も親に頼っている分際で、実家に金を納めているから文句はないだろとは言えない。

客観的に見れば労働の傍に大学受験なんて無謀の極みなのだろうが、どれだけ無様に失敗を重ねようが、自分で責任が取れるなら問題なかろう。私にはこの生き方しかないのだから、このように生きてゆく。それだけの話である。