二浪之愚記

大学に行きたいんですが

学歴コンプレックスに対する的外れな意見について

学歴コンプレックス患者に対して
「学歴なんて社会に出てからは大して役に立たない。それよりも人間性やコミュニケーション能力の方が重要!」
というようなことを言う人がいる。私はこの発言が的外れに思えて仕方がない。このような発言をする人は、この発言の何が的外れなのかを理解するのが難しいと思うので、もう少しわかりやすい例を挙げて説明したい。

 

学歴コンプレックスを持つ者に対して「学歴は重要でなはない」と言うのは、生まれつき容姿が醜悪な人に対して
「ブサイクでも幸せな人はたくさんいる。だから人生において容姿は重要ではない!」
と言うのと同じである。
「ブサイクでも幸せな人はたくさんいる」の部分が真実だからといって、それを根拠に「人生において容姿は重要ではない」と結論を出すことには、大きな論理飛躍があると言わざるを得ない。
なぜなら「容姿が醜悪でも自分は幸せだと認識している人」と「容姿が醜悪ゆえに自分は不幸だと認識している人」の価値観が全く同じという状況は現実的にありえないからである。一例として、片方は小さい頃から容姿を理由にいじめを受けており、周囲に美形が多くて常に劣等感を持っていたのに対し、もう片方は容姿を理由にいじめられることも無く、周囲からの劣等感も少ない環境で人生を過ごしたとする。
そうすると両者間で「容姿」に対する考え方に大きな違いが発生する。人から容姿について言及されることで受けるダメージの大きさにも違いは生じるだろう。
そうであるにもかかわらず、画一的に「人生において容姿は重要ではない」と言うのは短絡的過ぎる。この場合、発言者は容姿に対する自分の価値観を普遍的真理と錯覚している可能性がある。

学歴に対する意識も同様である。ある人にとっては学歴は社会で成功するための一つのプロセスや要因に過ぎないかもしれないが、ある人にとっては人生の目標であったりもする。学歴を得られないことがアイデンティティの喪失につながる人もいる。
「どうしてもこの大学で学生生活を謳歌したい」とか「どうしてもこの教授の元で研究がしたい」とか極端な例だと「この大学でなければ恥ずかしくて生きていけない」とかいう人もいるわけで、そういう人々の価値観というのはなかなか共感を得られないものである。

「社会的に成功すれば学歴コンプレックスは解消される」とか「学歴以外に自分に自信を持てるものがあれば大丈夫」とか、その他諸々の意見は、あくまで発言者の学歴に対する価値観を前提としたものであるから、一向に学歴コンプレックスの当事者と話がかみ合わないのである。

社会で成功するためだとか、経済的に有位になるためだとか、そういう分かりやすい理由だけではなく、人生における複雑なバックグラウンドが原因になって大学受験に固執してしまう人がいるということが理解されたら幸いである。