二浪之愚記

大学に行きたいんですが

人生の全てがどうでもよくなりつつある高卒底辺派遣労働者の心境

派遣で工場勤めを始めてからというもの、やけに「死」という概念が脳裏をよぎる。

幸福になる為に努力することを放棄し、自分以外に守るべき存在を持たない大人は、何を目的に生きればよいのか。自分一人がギリギリ死なない程度の給料を稼ぎながら、ただ時が過ぎるのを待てばよいのか。その延長線上にある死と、理論上すぐに選択できる自死と、一体何が違うというのか。

そんなことを考えながら労働に従事している。私の人生は死に伴う苦痛や恐怖をひたすら先延ばしにしているに過ぎないと考えると、ある種の虚しさが込み上げてくる。

とはいえ、私は生理的本能に打ち勝って己の意思で死を選択できるほど覚悟のある人間ではない。結局のところ、この世界で無様に苦痛から逃げ回る方法を模索するに限るのである。

これまでの私は、自分に内在する社会不適合者特有の思考原理を、必死に押し殺して生きてきた。本当は他人に興味など無く、周りにいる人間が煩わしくて仕方がなかったのだが、そのような態度は決して見せないようにしてきた。それがこの地獄のような世界を生き抜くための、私なりの生存戦略だったのである。周囲が不快にならないように偽りの自分を演じ、時には自己犠牲によって平穏な人間関係や職場の雰囲気を守り続けてきたのである。
ところが今となってはそのような努力をする気力も起きない。周りを不快にさせようと、どれだけ嫌われようと、もうお構いなしである。現在の職場では皆がサービス残業をしている中、無許可で帰宅したりして、さっそく嫌われ者となっている。契約書に書かれた労働時間を超過して無償で働かされているのだから、悪いのは会社側であるし、私がサービス残業に従事する義務など一つもないのだ。私が抜け駆けしたことで現場が混乱し、残された従業員達が多大な負担を受けようと、もはや私は何とも思わないし、それを咎められたとしても、謝罪も反省もするつもりはない。仕事に支障をきたすようなイジメが起これば出社を拒否して派遣会社に迷惑をかけてやればいいと思っている。

失うものが無い上に将来の人生にも期待出来ないとなると、人はこのように「無敵の人」と化していくのだろうか。いずれ法を犯し刑事罰を受けることすらノーダメージだと思える日が来てしまうのだろうか。私はそれがものすごく怖いのである。

そうならない為には現状を軌道修正し、人生にある程度の期待を抱けるようにするしかない。しかし、この派遣労働を続けている間にそのような事が実現するなど有り得ない話である。周りの人間は皆うつろな目をしていて、負のオーラに満ち溢れている。ずっとこんなことを続けていたら確実に潰される。

私はここから逃げ出せばよいのだろうか。逃げ出したとして、どこへ行けばよいのか。何かスキルのあるわけでもない低所得者は、当分労働自体から逃げ出すことは出来ないのである。ここから逃げ出した先の職場が、ここより酷い可能性だって十分考えられる。

 

これまでずっと人生の要所で選択を誤り続け、その都度反省することなく問題を先送りにしてきたシワ寄せが、今ここに来てとんでもない後悔を生んでいる。どうしてここまで堕ちるまで学習しなかったのかと、自分に怒りが湧いてくる。

今更こんなことを言ってもどうにもならないことは分かっているが、本当に変わりたい。早く反省して一から努力を積み上げる気概を持ちたい。踏ん張って人生を諦めないで、真っ当な大人に成長したい。頭ではそう思うのに体が付いていかない。行動出来ない。人間性が変わらない。

 

今後、これ以上厳しい状況はいくらでもあるのだろう。しかし、自分のキャパシティはもう限界である。ここから這い上がる苦労も、このまま堕ち続ける苦労も、耐えられそうにない。精神か身体かが壊れるまで時間の問題かもしれない……。

 

 

21歳ニート、派遣社員として工場勤務に就くも仕事内容が嫌すぎて契約更新拒否を決意

前回の記事

www.yanagita920.work

 

 

かねてより登録していた派遣会社から連絡があった。私が志願していた仕事の採用結果を伝えに来たのである。
面接の翌日には採用結果を報告すると聞いていたのだが、これは面接が終わってから音沙汰無しのまま五日ほど経過した頃の話である。


「残念ですが現場責任者の方が工場未経者は採用できないとおっしゃっていますので、今回は不採用という形になります」
と派遣の担当者が宣う。それ派遣法違反ですよね、なんてことを言う気にもなれず、私は「承知しました」とだけ答える。
もはやこの会社に対する信頼は地の底へ落ちているので、採用が決まらなければこことは縁を切ろうと決めていた。どうせこれから紹介される仕事も怪しい案件に違いが無いのだ。

「同様の収入が見込める仕事がいくつかあるのですが、明日面接に行けますか」
「いや明日は厳しいですね。やはり自分で仕事を探そうと思います。短い間ですがお世話になりました」
という風なやり取りをして私は無理矢理電話を切った。

ところが数時間後また件の派遣会社から電話が掛かってくる。しつこいなと思いつつ耳を傾ける。
「先ほど不採用とお知らせしたお仕事ですが、急遽明後日から現場に来て欲しいということらしいです。大丈夫でしょうか」
正直な話、何言ってんだコイツと思った。この数時間の間で何があったのか確実なことは分からないが、派遣社員の登録を解除されるくらいならゴリ押しで希望の仕事にねじ込こんでしまえと考えたのだろう。それが出来るなら最初からそうしてくれという感じである。
この仕事はそれなりの手取りが期待できる案件ではあったので、私はやや不機嫌になりつつも「分かりました。そちらで働かせていただけるのであればよろしくお願いします」と返事した。かくして私は工場での派遣労働に内定を得たのである。

しかし実際に現場入りすると、これが想像以上に厄介な仕事だということが明らかとなった。


当現場は二十四時間稼働の二交代制で、一日の拘束時間は12時間(そのうち1時間半は休憩)である。従業員は四日夜勤をして二日休み、四日昼勤をして二日休みのサイクルで働く。
この現場には製造・塗装・検査・梱包など様々な業務があるようだが、新人の私がやらされている仕事は以下の単純作業である。
まず何に使われるのかも分からぬ黒いプラスチック製の部品を機械にセットし、蓋を閉める。数十秒待つとブザーが鳴って機械の蓋が開く。すると先ほどの黒い部品が銀メッキを帯びて現れる。それを取り出して塗装にムラが無いかを確認し、箱に梱包する。
立ちっぱなしで10時間程これを繰り返すのである。こんなことを続けていたら頭がおかしくなりそうだ。

 

とはいえ、工場での単純作業が精神的にも体力的にも厳しいことは想定内であった。労働時間が長いことも了解した上でこの仕事を引き受けたのだから、今さら文句を言うつもりもない。
だが提示された条件と違うというか、これは先に説明しておくべきだっただろうと言いたくなるようなことも結構ある。

まず従業員の約半分がベトナム人であるということ。それ自体は問題ないのだが、私に業務内容を説明するように言われている者は単語でしか日本語会話が出来ない。私が仕事について教えを乞うても作業工程を説明することが出来ず困惑している様子である。ベテランや責任者クラスの連中はみな日本人のようだが、この人らはベトナム人派遣労働者に新人指導を丸投げしている。どうしてこれほど非効率なやり方をするのか。

もう一つは業務終了時刻になってから日報を書かされるということ。日報には生産数や不良品数を計算して記さなければならない。慣れないうちはこれに時間を取られてなかなか帰ることが出来ない。ちなみにこの間は給料が発生していないらしい。

はっきり言ってこれでは給料に見合わない。三月末に労働契約の更新日があるのだが、私は更新を拒否しようと出勤初日に決めてしまった。それまでは我慢してこの仕事に耐えるしかない。

 

やはり私は長く仕事を続けていく根性を持ち合わせていないのだ。受験から逃げ続けた男は仕事からも逃げ続ける。

 

21歳にもなって未だ実家暮らし。掃除も洗濯も食事も親に頼り、そのくせ家庭に納める額は毎月3万円のみ。
これほど恵まれた環境にありながら低学歴で何の技能も無く、その辺の中学生でも出来る作業でしか金を稼ぐことが出来ない。

やはりこうして惨めな人生を歩むことになったのも全て私自身の責任だ。努力する為の環境は整っていた。私は自らの意思によって自堕落な生き方を選択し、その結果としてかくの如き不遇な現状に甘んじているのだ。
こうなった以上は資本主義社会の敗北者としての自覚を持って謙虚に生きてゆくしかないだろう。私はきっと一生このままだ。冷静に考えて此処から這い上がれるような人間はそもそも此処まで堕ちてこない。

今後は仕事を転々と変えるのは仕方がないことだと諦めて、貯蓄を増やすことだけ考えていくつもりである。金が有ればメンタルに余裕が生まれるはずだ。実家に甘えていられる今がラストチャンスなのだ。ここで時間と精神的余裕を作って、それからどういう人生を歩むか考え直そうと思う。

三浪らしき者による生存報告とセンター試験の結果について

センター試験が終わって日が経つが、なかなかブログを書けないでいた。というより、試験に関してはもはや書くべきことが無いのである。
受験を名目に労働から逃げてきたはいいが、当然勉強など出来るわけもなく、私立・国立共に諦め、時が過ぎるのを待つだけであった。センター試験が終わるまでは税金対策も兼ねて休養し、これを区切りにまた職を探そうと決めていた。
試験の二日後に派遣会社へ登録し、紹介された時給1900円の仕事を引き受けることになった。ところが急に派遣先の職場が人員の募集を撤回したなどと訳の分からないことを言い出し、話が水泡に帰してしまった。それから幾つかの職場に赴き、顔合わせという名の違法面接を強要され、今はその結果待ちなのだが、一向に返事が来ない。完全にハズレの派遣会社を引いてしまった模様である。
仕事内容や労働時間はどうでもいいので、それなりの収入が見込める職場でさっさと就業を開始したいところだ。これ以上無職で居続けると精神が崩壊する恐れがある。
無職になるということは物理的苦痛から解放される代償に精神的苦痛を強いられるのと同義であるということを、私はここ数カ月で再認識した。労働に従事すると宅浪ニートであった時代を懐かしむようになるが、実際に無職へ舞い戻ってみると、労働によって思考が停止した状態が如何に幸せであったかを理解する。私は一生この無限ループを廻り続けるような気がして半ば絶望している。

前回の記事のコメント欄には私の受験を応援してくれるようなものが多く、大変有難かったのだが、それ故にこのような敵前逃亡とも取れる結末を迎えたことを申し訳なく思う。学習する気力がないのに大学への未練だけは一丁前で、仕事を投げ出したにも関わらず勉強をしないという奇行に走ってしまった。自分が哀れすぎて消えてしまいたい衝動に駆られる。死にたいとまでは言わないが生きていても仕方がないという感じである。

なんだか話の展開にまとまりのない記事になってしまった。知能を使う作業がまともに出来なくなっている証拠である。最後にセンター試験の自己採点だけ載せて終わりにしよう。

英筆142  リス28
国語133(48、50、19、16)
数学94(56、38)
日本史95
世界史70
地学基礎 22 生物基礎30

最後のセンター試験だというのにこの有様である。来年からは共通テストなるものが始まるそうだが、私はそれを受験するのだろうか。もう分からん。

三浪、仕事を辞めるも勉強に専念できず、開き直る

仕事を辞めて一週間が経った。いざ無職になるとこの膨大な閑暇をどう扱ってよいのか分からない。

時間さえ有れば試験勉強にフルコミットできるだろうと考えるのは早計である。
今は何事にも全くやる気が起きず、僅かに残る貯金を酒に溶かしながら延々と愚痴をボヤくことしかできない。最近は寝床から起き上がるのにも一苦労を要する。文章の書き方すら忘れて、たかが数百文字のブログを書くにも2、3日かかる。

毎年のことだが、この時期になると私は勉強への意欲が著しく減衰するのだ。三浪もしていると、どのタイミングで自分が無気力に襲われるのかが大体分かってくるものである。最近は「今から勉強してもどうせ試験に間に合わないのだから頑張るだけ無駄だろう」という、心理学において合理化と呼ばれる現象が発動する時期らしい。

いつまで経ってもこの調子だから、私は自分の意志でモチベーションをコントロールすることを諦めた。勉強する気になったときに勉強し、やる気がなくなったら止める。仕事も同じように辞めたり始めたりを繰り返すのだろう。そうやって非効率な人生を歩んでいくのが私にとっては一番合理的な生き方だったりする。一般人とは出来るタスクの量が全然違うのだから、無理をせずに些細な進捗に喜びを見出していくしかない。

センター試験の申し込みは無事に完了した。おそらく現在の学力では630~680くらいしか取れないだろう。世界史と理科基礎を詰めつつ、英語をもうちょっと得意にすれば八割に届くだろうか。まあ、これからセンター試験にかけて実際に机に向かって勉強出来る自信は無いのだが。

高卒フリーター、三浪を決意。

 

当ブログは二浪之愚記などと銘打っているが、筆者は三浪である。どういうことか。

 

このブログは私が二浪を開始するのに際して開設された。二浪之愚記というタイトルもその時に決められたものである。ところが当時の私もまさか自分が三浪へと駒を進めてブログの運営を継続しているとは想定していなかった。そういう訳でかくの如き喰い違いが発生している。
しかし今更愛着の沸いた看板を変えるのは気が進まない。したがって私は断固としてこのタイトル詐欺を継続していくつもりである。悪しからず。

 

本題はここからである。
二浪の末にフリーターへと転身を決めた私だが、最近本格的に受験勉強を再開しようと計画を立てている。理由は色々あるが、低所得で働き続けることに嫌気がさしたというのが大きい。

働き始めの頃は、月22万~25万円の収入が大変立派に見えた。これ以前の収入といえば親から貰える毎月1万円の小遣いだけだったから、働けば一カ月で約二年分の小遣いを手に出来る感覚であった。


しかし冷静になって考えてみると、このまま死ぬまで月収20万円台で働き続けるというのは非常に厳しいものがある。実家暮らしをするなら家庭に収入の何割かを入れるのが筋であるし、一人暮らしをするとなると相当な生活費がかかる。聴覚障害に陥ったり過労で鬱になったりしていたことから分かるように、私は肉体的にも精神的にも強い人間ではないから、いずれ生活が破綻するのは容易に想像がつく。

このままではどうせ破滅に向かうのだ。ならば大学受験にかけよう。働き始めて半年近く経っているから、金もそこそこ貯まっている。国立大学の入学金と初年度の学費くらいなら自力で用意できそうである。当然、仕事を完全に辞めると金銭的に限界が生じるのだが、これまでのように週休0日で働き続ける生活とは流石に縁を切ってもいいだろう。

というわけで、九月から本格的に浪人再開となる。これまでも労働の合間を縫って気休め程度に受験勉強はしてきたが、はたして今の学力がどれ程のものなのか、模試で明らかにするとしよう。

 

そういえばもうすぐセンター試験の出願期間に突入する。忘れずに出願しなくては。

 

 

 

 

【人生終了】浪人からフリーターに転落した私の末路

 

最近の私はよく働いている。つい数カ月前までは浪人という名のニートとしてノンビリと暮らしていたというのに、そのような日常は見る影もない。早朝から携帯電話の暴力的なアラーム音に叩き起こされ、体に疲労を感じながら渋々労働現場へと向かうのがデフォルトと化している。自宅に引きこもってインターネットの海を朝から晩まで彷徨い続けていた浪人時代とはえらい違いである。

昔からそうなのだが、私は成果が確実かつ短期的に現れる対象にしか努力をしようという気になれない。労働は出来ても勉強はできない一番の理由はこれである。ロングスパンで物事を考えられない。すなわち私の中には長期的な努力や自己投資という概念が存在していないのである。


大学受験は勉強すれば誰でも確実に報われるという性質のものではないし、そのうえ長期的な努力を要する。それに比べて現在従事している労働は一日働きさえすれば確実に日当を獲得できるという極めてシンプルな構造をしている。
受かるかどうかも分からない大学の入試対策をすることに比べれば現在の方がストレスフリーというわけだ。

それで、こんな思考癖を持った人間がどのような人生を送るのかというと、これは想像に難くない。
自分の生活を維持するためだけに目先の小銭を求めて何十年と同一時給で労働を続け、最後にとてつもない後悔を背負って死ぬのである。
私としてはそのような人生は避けたいのだが、自分の人間性を鑑みるとこの末路は不可避のように思える。

かくの如き無限ループから抜け出す方法は頭では分かっている。労働収入を得ることと並行して自己投資を行うことだ。それが資格の取得や大学受験なのか他の収入源の構築なのかは不明だが、とにかく労働以外に何か行動を起こさなければならない。
しかし頭で分かっていることと実行可能であることには大きな隔たりがある。高校生レベルのお勉強すらできなかった私が労働と並行して自己投資を継続するなど不可能に近いと言ってよい。

やはり落ちるところまで落ちると這い上がるのは大変だな、なんてことを思いつつ、今日も私は思考停止で日当を稼ぐのである。

【2019年センター試験得点開示】これが下層浪人生の現実です。

 

 

さて、今更だがセンター試験の得点開示が届いたので掲載する。

f:id:yanagita920blog:20190424145203j:plain

二浪もしてこれほど酷い点数を取る受験生はそうそう見られるものではない。しかし、実際はこのくらいの点数が一番生々しく浪人の闇を反映していると言えるだろう。ツイッターやブログでセンター試験の開示を公開している人はたくさんいるけれど、大半が八、九割を超えていたりする。「多浪してセンター七割が限界」というような層は成績を晒さないし、そのうえ消息が不明になっている場合も少なくない。このようなタイプの浪人生はもはや知能やら勉強法以前に人間性が大学受験に適していないのだろう。

自分に何が必要なのかを吟味し適切な方法で努力を積み上げるには、ある種の理性(自制心)が求められるが、私にはそれが致命的に欠如している。つまり現状の私では努力することすら不可能なのである。

大学受験を完全に諦めることはないだろうが、これまでと同じようにグダグダと続けていても成功する未来が見えない。今後はしっかり働いて極力自力で生きていくことから始めよう。そうすることで社会的に成長できれば嬉しい限りである。その後に大学合格も果たせたらこれ以上素晴らしいことはないだろう。