二浪之愚記

二浪ニート→三浪警備員→四浪期間工(いまここ)

宅浪ニートをやめて警備員のアルバイトをしていた頃の話

大学受験に失敗して浪人生活を始め、ダラダラと過ごしているうちに三浪ニートと化してしまった私は、この廃人の如き状況から脱却すべく、何か仕事をしようと思い立ち、警備員のアルバイトを始めたのであった。数ある職種の中で何故警備業を選んだかと言うと、時給が高く、私でも出来そうな仕事がこれしかなかったからである。

今回は私が警備会社で経験した仕事を語ってゆこうと思う。

まずは一番長くやっていた、駐車場での交通誘導の話から。

 

一言に交通誘導と言っても、それには様々な役割がある。私は主に駐車場の入り口に立ち、無線で指示された台数の車両を場内に受け入れる役割を担っていた。他の警備員は大量の車がスムーズに駐車できるように場内で連携して誘導を行い、それぞれの持ち場の空き台数を無線で私に伝えるのである。客数の割に駐車場が狭い現場では、満車の看板を無視して場内に侵入してくるクレイジーな運転手に車で引かれそうになった事もあり、なかなか気の抜けない仕事だと感じた。イライラした運転手というものはこれほど奇想天外な行動をするのかと面食らってしまうのである。

働き始めの頃は想像以上に厳しい業務内容に戸惑っていたのだが、給料だけは高く、それがモチベーションとなって実力がつくと、ある程度精神的余裕を持って稼げるようになっていった。当時は3時間5000円の業務を毎日二件ほど任されていたので、高卒アルバイターにしては稼げていた方であろう。月に数回は残業をするので、月収は平均的な大卒の初任給より一回り多いくらいだ。

ただし、夏場の交通誘導に限定して言えば、この給料でも割には合わない。炎天下の夏日に影のない駐車場でずっと立ちっぱなしだった時は、干乾びて天に召されるのではないかと思った。これから短期で交通誘導のアルバイトをしようと思う人は、楽な季節を狙ってやる方がよい。

 

そしてもう一つ、交通誘導とは違う類の仕事も経験した。病院の夜間警備である。

こちらの仕事は時給千円と非常に安い。業務の半分は椅子に座って監視モニターに映る入口の映像をボケっと眺めているだけなので、まあ妥当な報酬と言えるだろう。実質的には夜勤手当や残業手当が付いてそこそこ稼げるので、むしろ穴場かもしれない。

とはいえ夜間警備にはモニター監視以外の仕事も多種多様にある。

まず第一に診察室等の施錠である。私が勤めていた病院ではマスターキーで50箇所以上の鍵を施錠しなければならなかった。施錠箇所と順序を覚えるのには大変苦労したものだ。

それとは別で、数時間おきに院内の巡回を行う。真夜中の真っ暗な病院を、ライトで足元を照らしながら巡回してゆくのである。患者の病棟にはそれなりに光があるものの、地下の倉庫や霊安室付近は完全なる暗闇で中々不気味であった。

そしてもう一つは救急患者の入退管理である。救急患者らしき者が来たら入り口まで行って、名前と用件を訪ねて記録し、受付まで案内する。救急車のサイレンが聞こえた時は道路まで出て、救急車が院内にすぐ入れるように他の車両を電光誘導棒で停車させ、無線で救急の当直医に連絡をする。

病院内の夜間警備の主な業務は以上となるが、実は他にも様々な雑用があり、むしろこの雑用の方が面倒なのであった。夜中に駐車場で悪そうな中学生がスケートボードで遊び始めたり、高齢者や認知症患者が院内から脱出を試みたりすると、受付やナース室から内線で連絡が来て、どうにかしろと言うのである。前者はともかく、後者に関しては病棟を出る前に医療関係者が止めろと思うのだが、何故か警備員が最後の番人として頼りにされているのであった。

他にも電球が切れたとかゴキブリが出たとかで雑務が増えるのだが、これらを挙げだすと話が終わらないのでこのあたりでやめよう。

 

私が経験した主な仕事は大きく分ければ以上の二つくらいである。

警備業は色々と面倒な人や出来事に遭遇する仕事であるが、どうしても金が必要な学生や、ニート、フリーターには割と良い仕事ではないかと思う。あくまで能力のない人間がアルバイトとして短期的に稼ぐ手法としての話だが。

私にとって警備業は初めての仕事だったので、戸惑うことも多々あったが、これもまた人生経験としてそれなりに有意義であった。浪人とは名ばかりのニートによる社会復帰プロセスとして、この仕事はかなり適切だったと思われる。警備業界は入れ替わりが激しく、今はどこも人手不足の傾向が強いようなので、社会復帰を目指すならまずは週に二回くらい警備のアルバイトに入ってみるのはオススメである。やたらと厳しい現場でこき使われるようであれば、辞めて他の警備会社に行けばよいのだ。

工場の派遣労働を契約期間の途中で辞めた男

タイトルの通り、派遣社員として従事していた仕事があまりにも辛過ぎて、契約期間を満了するより先に逃げ出した話である。

高卒でまともな職歴もなく、そもそもやりたい仕事など一つもなかった私は、自分でも採用されそうな仕事の中から適当に給料の高いものを選んで働こうと考えた。

そこで派遣会社に「とりあえず手取りの多い仕事を紹介してほしい」と伝えたところ、基本時給は低いが残業と夜勤が出来るという理由で、工場の作業員を勧められたのである。

私は自分の器量を正確に把握することの出来ない愚か者だから、飛んで火に入る夏の虫の如く残業手当と深夜手当の多さに飛び付いた。結果、予想以上の厳しさにあえなく撃沈という訳である。

実質13時間の長時間拘束に加え、通勤には合計約2時間が掛かっていた。したがって一日の自由時間は約9時間しかない。さらに言えばその9時間というのは次の労働に備えて如何に早く食事と風呂を済まして寝るかという戦いであって、事実上自由とは程遠い。なんというか、これでは人間として生きている感覚が無くなってくるものである。

そして何より業務内容が無茶苦茶過ぎる。一方の生産ラインではプラスチックの棒をひたすらニッパーでぶった切り、それと並行して別の生産ラインでは部品の切り口をカッターナイフで整える。二か所にあるベルトコンベアを約3分ごとに往復しないと部品がゴミ箱に落ちて不良品になる。不良品を出せば叱られるという負のモチベーションが、かろうじて私の手足を突き動かしていた。万歩計のアプリを見ると一日の歩数が2万を超えている。私の体力と精神力では到底この業務を続けていけそうになかったのである。

三月の末が契約の更新日だったが、二月の末には既に限界が来ていた。この時期に私は派遣の担当者に今すぐ仕事を辞めたいという事を伝えた。

ここで意外だったのは、拍子抜けするほど簡単に退職の手続きが完了したことである。期間満了まで続けるように諭されるかと思ったが、そのようなことは無く、二つ返事で了解を得た。工場の社員達に自分から辞めることを伝える必要もなく、派遣会社の方で書面にサインをするだけで丸く収まったのである。代わりの人材を用意する必要があったらしく、辞めたい旨を伝えてから二日だけは耐えるように頼まれたが、三月の末まで続けることに比べれば容易いことである。当然私は快諾した。

次の仕事もすぐに就くことが出来た。こちらは8時間労働で、業務内容も前職と比べれば随分と楽である。残業をするかどうかも自分で決定できる。この差は非常に大きい。

以上の経験から、実際に就職してからでないと業務の厳しさは分からないのだということを強く認識した。当たり前の話だが、入社前の説明で体感的な適性など理解出来るはずもない。私のような職歴に傷をつけることに何の躊躇いもない人間は、開き直って転々と仕事を変えつつ、自分に適した職場を見つけてそこに居座るというやり方が案外よいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【penspinning】浪人生がペン回しの魅力を紹介してみた【JEB】

私がペン回しの奥深さを知ったのは浪人初期の頃である。どうやらペン回しには「浪人回し」なる別称(蔑称)があるようだが、私ほど浪人回しの名を体現してきた人間は、古今東西探しても相当稀有であろう。コンティニュアス浪人4回なんて尋常な人間のする芸当ではない。

そんなことはさておき、今回の本題はペン回しの魅力についてである。余りにも奥が深い世界であるため、この魅力を言語化するのはなかなかに難しい。そこでまず初めに以下の動画を観ていただこう。

 

 

www.youtube.com

 

 ご覧頂いたのはペン回しのコラボレーションビデオ(CV)と呼ばれているものである。ネット上で出演者を募り、10秒から20秒の動画を集めて一つの作品にしている。CVへの出演は、ペン回しにおける活動の中核と言っても過言ではない。歴史的に見ても、オンラインにおける映像製作というこの文化形態が、ペン回しの普及や技術向上に大きく関わってきたのは明らかなのである。(私は新参なのでその辺りの歴史を肌感覚で分かっている訳ではないが)。

ここで挙げたCVは、数ある中でも私が個人的に感動した作品をピックアップしたものに過ぎない。youtubeで「ペン回し」と検索すると他にも無数のCVが見られるので、興味のある人は色々覗いてみて欲しい。

それにしても、先ほど例に挙げた作品は本当に素晴らしい。ペン回しが出来ない人でも十分楽しめると思う。それくらい出演者の技術も編集のクオリティも高い。特にJapEnシリーズは日本最高格のCVとして名高い。この領域まで来ると本当に狂人の世界だなと思う。我を忘れて狂ったように回し続けなければ、こうはならんだろう。「努力は夢中に勝てない」という言葉があるが、この言葉がこれ以上正確に当てはまる世界を、私は見たことが無い。

 人それぞれ回し方に個性があるのも面白い。ペンの先をつまんで振り回すような動きをする人がいたり、ペンが指から離れるアクロバティックな回しをする人がいたり、洗練された指使いで綺麗に回す人がいたりする。

そしてお気付きの通り、動画内で使用されているペンの大半は普通のペンではない。これは複数のペンを分解し、各部品を再構成して一本のペンに仕上げたものである。ペン回しの技が高度化するにつれてペンの重心や長さを調整する必要性が生じ、その結果として「改造ペン」を作る習慣が定着したのである。人だけでなく、ペンにも得意・不得意な技があり、ペンと人とが一体となって個性を作り上げている。

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少数派ではあるが、未改造のペンを専門に回す人もいる。JapEn12thにも出演されていたEase氏は、ドクターグリップという未改造ペンの使い手として有名である。改造ペン使いにも劣らない高度な技術を持ち、さらに未改造特有の利点を生かした技を加えることで、独自のスタイルを確立している。

かくいう私もドクターグリップを好んで使っている者の一人である。まだまだ歴も浅く、上手くペンを使いこなせていないのだが、一度Ease氏の動画と見比べてみよう。初心者と上級者にどれだけの違いがあるか。きっと未経験者でも難易度や安定感に差を見つけられるはずだ。

 

Ease氏の動画

www.youtube.com

 私の動画

www.youtube.com

 

 

 ペン回しは一般に理解されにくい趣味であるから、「こんなものが何の役に立つんだ」というツッコミを受けることが多々ある。私は未だこれに対する明白な回答を持ち合わせていない。というか、むしろ何の役にも立たないということ自体が、ペン回しの魅力の一つだろうと思ったりもする。所詮学生の暇潰しでしかなかったものを、ひたすら練習して極めるというそのシュールさに、何故か心が惹かれてしまうのだ。ニコニコ動画のタグに「無駄に洗練された無駄の無い無駄な動き」というのがあるが、これほどペン回しの魅力を端的に表せる言葉があっただろうかと思う。

私が未改造のクラシックなスタイルを好むのも、このような感性が寄与している。現代のペン回しは競技として、パフォーマンスとして、芸術作品として、高度な文化として、進化している。それは素晴らしいことではあるが、これでは先ほど述べた「本来手遊びでしかなかったものが高度に発展しているシュールさ」という概念が消失し、ペン回しが単なるジャグリング競技と同化してしまうのではないかという懸念がある。

私が未改造を使うのは「ペン回し」としての原形を極力維持することを重要視していることの顕れでもあるのだ。私にとってペン回しは「ペン」を回してこそなのである。これほどまでに原理主義的な思想の元でペンを回しているのは端的に言って異端だが、まあ、こういう奴が一人くらいいてもいいだろう。回しを見ればその人がどのような理念の元でペン回しを続けてきたのかが分かるというのも面白いところである。

 

ペン回しの魅力を紹介するはずが後半は自分語りに傾倒してしまった。これでも私なりにペン回しの面白さを伝えてきたつもりではある。この記事を読んでペン回しの世界に興味を持たれた方がいれば幸いである。

 

 

 

【多浪的思考回路】不勉強な浪人依存者の生き方

 これまでの浪人期間を振り返ってみても、ろくに勉強をしていた記憶がない。浪人ともニートとも社会人とも明言できぬ中途半端な存在として、フラフラとこの世を彷徨い続けてきた。
そして気が付けば21歳。有り体に言えば四浪の歳である。
やはりどう考えても、私に大学受験というレースは向いていないのだ。そんなことは、浪人生活を始めるずっと前から気付いていた。才能も無く、努力する気も無いのであれば、さっさと受験勉強から手を引くべきなのは自明であった。
ところがそうは問屋が卸さない。過去の記事で散々語ってきた通り、学習は苦痛だが大学には行きたいという支離滅裂な思考が、私の人生をずっと蝕み続けてきたのある。もう一年浪人すれば大学に行けるのではないかという楽観的な幻想が、自尊心崩壊を阻止する精神的支柱として機能してきたことを、私は否定出来ない。このような有様では浪人依存と言われても文句は言えまい。
しかしこればかりはどうしようも無いことであり、誰にも理解されないことでもある。私にだけ掛けられた呪いのようなものとして受け入れてゆくしかない。なんとも珍妙な呪いである。

とはいえ四浪まで来ると、一般的な社会のレールに乗って生きてゆく王道ルートは完全に閉ざされているように思われ、ある意味で気が楽ではある。もはや四浪するのも十浪するのも似たようなもののように感じてくる。
このまま「受かるまで受験していればそのうち受かるだろう」という舐め腐ったメンタリティで生きてゆくのであれば、浪人生活を持続可能なライフスタイルとして確立することは必須事項である。
私がこなせる学習量には絶対的な限界があるので、残りの時間的・精神的リソースは出来るだけ経済活動に捧げてゆきたい。学習出来ないことに対する自己嫌悪で病んでいた今までの時間は本当に無駄であった。自分に長時間の学習は出来ないものだと開き直って、他に生産的な活動をしていた方が何倍もよい。いっそのこと金を稼ぐことをメインにして、その合間に細々と受験勉強を続けてゆく方が、よっぽど健全な生き方なのである。

一般的に、現代の日本では将来のキャリアを見越して大学受験を経験するという風潮があるが、もはや私はそれに逆行する者である。大学受験の成功の為に、金を稼ぐ。大学生になった後の余生は蛇足みたいなものだから、適当に考えておけばよい。

とりあえず直近の目標は派遣労働の量を減らすことだ。収入源を可能な限り分散してゆく。その中で自分が得意そうなことを見極めて、徐々にそこに比重を増やしてゆく。このブログもまたその稼ぎ口の一つである。

そしてもう一つの目標は一人暮らしの実現である。これに関しては2、3ヶ月以内に達成するつもりだ。どうして私が一人暮らしにこだわるかというと、浪人生活に対して誰にも文句を言わせないためには、生活レベルでの自立が必要だからである。食事も洗濯も親に頼っている分際で、実家に金を納めているから文句はないだろとは言えない。

客観的に見れば労働の傍に大学受験なんて無謀の極みなのだろうが、どれだけ無様に失敗を重ねようが、自分で責任が取れるなら問題なかろう。私にはこの生き方しかないのだから、このように生きてゆく。それだけの話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事をやめてブログで金を稼ぎたい高卒派遣労働者の話

最近、本格的にブログで金を稼ぎたいと思うのである。

このように思うのは、派遣社員を辞め、経済的価値を自力で生産し、恒常的な利潤を得られるようにしなければ、私の人生は近いうちに破綻するだろうと確信したからである。

労働力を毎時換金して生きてゆくことの虚しさにもう辟易している。勤務時間にどれだけ苦労して働こうが、私の収入は雇用主の支配下にあって、自力でどうにかなるものではない。そうなってくると、勤務中はサボタージュに徹することが最も合理的な選択となる。こんな調子で一生惨めに時間の切り売りをしていられるかという話である。仮に正社員として将来的に年収1000万を確約されたとしても、定年までずっと労働を続けるのであれば、本質的には同じことだ。金なんて私一人が餓死しない程度に有ればそれでよい。恋人も、子供も、車も、デカい家も、諦めてよい。そんなものを持つ自由を犠牲にしてでも、時間的拘束から解放されなければ意味がない。それが私の人生観なのである。幸福になることより苦痛(労働)から解放されることの方が遥かに重要である。

 

私は生粋の社会不適合者であり、組織の中で円滑に立ち回る能力に極めて乏しい。当然組織のマネジメントなんてものは論外である。かといって、個人事業主として食っていける特殊なスキルがあるわけでも、信用に値する学歴や職歴があるわけでもない。

やはり今の私に出来るビジネスといえば、ブログで愚にもつかぬ駄文を投稿し続けるくらいしか思いつかない。

このようなことを言うと、「お前はブロガーという職業を舐めている!」とお叱りの声が飛んでくるかもしれない。しかしちょっと待って欲しい。

私とて、いきなりブログ一本で生きて行けるとは思っていない。時間効率を考えれば、ブログを書くよりもアルバイトをしていた方が遥かに稼げるだろう。当然しばらくの間は時給労働の傍、ブログを書くのである。

しかし先ほど申し上げたように、重要なのはエンプロイーとして労働力を提供せずとも収益を得られるような、経済的価値や仕組みの構築なのである。

出来ることから始めないと、ずっとこのままだ。小さな一歩だとしても、目的地の方角に合わせて進んで行くしかないじゃないか。ブログで稼いだ僅かな金額は、少なくとも私にとっては、時給労働で得た数百万円より価値がある。なぜならその収益は、私の代わりとなって半永久的に経済的利潤を生み続ける仕組みの存在を意味しているのだから。私が目指すのは、この積み重ねに他ならない。

私はまだブロガーとしてのスタート地点に立ったばかりである。SEOの知識だとかWebライティングの技法は持ち合わせていない。幸いなことにGoogle Adsenseの審査には合格し、月に四桁程度の小遣いを貰っているが、これでは全然足りない。

とりあえず、しばらくの間は技術的なことは無視して記事を片っ端から書いていくこととする。まずは1000文字以上を100記事。必ず書く。

 

人生の全てがどうでもよくなりつつある高卒底辺派遣労働者の心境

派遣で工場勤めを始めてからというもの、やけに「死」という概念が脳裏をよぎる。

幸福になる為に努力することを放棄し、自分以外に守るべき存在を持たない大人は、何を目的に生きればよいのか。自分一人がギリギリ死なない程度の給料を稼ぎながら、ただ時が過ぎるのを待てばよいのか。その延長線上にある死と、理論上すぐに選択できる自死と、一体何が違うというのか。

そんなことを考えながら労働に従事している。私の人生は死に伴う苦痛や恐怖をひたすら先延ばしにしているに過ぎないと考えると、ある種の虚しさが込み上げてくる。

とはいえ、私は生理的本能に打ち勝って己の意思で死を選択できるほど覚悟のある人間ではない。結局のところ、この世界で無様に苦痛から逃げ回る方法を模索するに限るのである。

これまでの私は、自分に内在する社会不適合者特有の思考原理を、必死に押し殺して生きてきた。本当は他人に興味など無く、周りにいる人間が煩わしくて仕方がなかったのだが、そのような態度は決して見せないようにしてきた。それがこの地獄のような世界を生き抜くための、私なりの生存戦略だったのである。周囲が不快にならないように偽りの自分を演じ、時には自己犠牲によって平穏な人間関係や職場の雰囲気を守り続けてきたのである。
ところが今となってはそのような努力をする気力も起きない。周りを不快にさせようと、どれだけ嫌われようと、もうお構いなしである。現在の職場では皆がサービス残業をしている中、無許可で帰宅したりして、さっそく嫌われ者となっている。契約書に書かれた労働時間を超過して無償で働かされているのだから、悪いのは会社側であるし、私がサービス残業に従事する義務など一つもないのだ。私が抜け駆けしたことで現場が混乱し、残された従業員達が多大な負担を受けようと、もはや私は何とも思わないし、それを咎められたとしても、謝罪も反省もするつもりはない。仕事に支障をきたすようなイジメが起これば出社を拒否して派遣会社に迷惑をかけてやればいいと思っている。

失うものが無い上に将来の人生にも期待出来ないとなると、人はこのように「無敵の人」と化していくのだろうか。いずれ法を犯し刑事罰を受けることすらノーダメージだと思える日が来てしまうのだろうか。私はそれがものすごく怖いのである。

そうならない為には現状を軌道修正し、人生にある程度の期待を抱けるようにするしかない。しかし、この派遣労働を続けている間にそのような事が実現するなど有り得ない話である。周りの人間は皆うつろな目をしていて、負のオーラに満ち溢れている。ずっとこんなことを続けていたら確実に潰される。

私はここから逃げ出せばよいのだろうか。逃げ出したとして、どこへ行けばよいのか。何かスキルのあるわけでもない低所得者は、当分労働自体から逃げ出すことは出来ないのである。ここから逃げ出した先の職場が、ここより酷い可能性だって十分考えられる。

 

これまでずっと人生の要所で選択を誤り続け、その都度反省することなく問題を先送りにしてきたシワ寄せが、今ここに来てとんでもない後悔を生んでいる。どうしてここまで堕ちるまで学習しなかったのかと、自分に怒りが湧いてくる。

今更こんなことを言ってもどうにもならないことは分かっているが、本当に変わりたい。早く反省して一から努力を積み上げる気概を持ちたい。踏ん張って人生を諦めないで、真っ当な大人に成長したい。頭ではそう思うのに体が付いていかない。行動出来ない。人間性が変わらない。

 

今後、これ以上厳しい状況はいくらでもあるのだろう。しかし、自分のキャパシティはもう限界である。ここから這い上がる苦労も、このまま堕ち続ける苦労も、耐えられそうにない。精神か身体かが壊れるまで時間の問題かもしれない……。

 

 

21歳ニート、派遣社員として工場勤務に就くも仕事内容が嫌すぎて契約更新拒否を決意

前回の記事

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かねてより登録していた派遣会社から連絡があった。私が志願していた仕事の採用結果を伝えに来たのである。
面接の翌日には採用結果を報告すると聞いていたのだが、これは面接が終わってから音沙汰無しのまま五日ほど経過した頃の話である。


「残念ですが派遣先の方が工場未経者は採用できないとおっしゃっていますので、今回は不採用という形になります」
と担当者が宣う。それ派遣法違反ですよね、なんてことを言う気にもなれず、私は「承知しました」とだけ答える。
もはやこの会社に対する信頼は地の底へ落ちているので、採用が決まらなければこことは縁を切ろうと決めていた。どうせこれから紹介される仕事も怪しい案件に違いが無いのだ。

「同様の収入が見込める仕事がいくつかあるのですが、明日面接に行けますか」
「いや明日は厳しいですね。やはり自分で仕事を探そうと思います。短い間ですがお世話になりました」
という風なやり取りをして私は無理矢理電話を切った。

ところが数時間後また件の派遣会社から電話が掛かってくる。しつこいなと思いつつ耳を傾ける。
「先ほど不採用とお知らせしたお仕事ですが、急遽明後日から現場に来て欲しいということらしいです。大丈夫でしょうか」
正直な話、何言ってんだコイツと思った。この数時間の間で何があったのか確実なことは分からないが、派遣社員の登録を解除されるくらいならゴリ押しで希望の仕事にねじ込こんでしまえと考えたのだろう。それが出来るなら最初からそうしてくれという感じである。
この仕事はそれなりの手取りが期待できる案件ではあったので、私はやや不機嫌になりつつも「分かりました。そちらで働かせていただけるのであればよろしくお願いします」と返事した。かくして私は工場での派遣労働に内定を得たのである。

しかし実際に現場入りすると、これが想像以上に厄介な仕事だということが明らかとなった。


当現場は二十四時間稼働の二交代制で、一日の拘束時間は12時間(そのうち1時間半は休憩)である。従業員は四日夜勤をして二日休み、四日昼勤をして二日休みのサイクルで働く。
この現場には製造・塗装・検査・梱包など様々な業務があるようだが、新人の私がやらされている仕事は以下の単純作業である。
まず何に使われるのかも分からぬ黒いプラスチック製の部品を機械にセットし、蓋を閉める。数十秒待つとブザーが鳴って機械の蓋が開く。すると先ほどの黒い部品が銀メッキを帯びて現れる。それを取り出して塗装にムラが無いかを確認し、箱に梱包する。
立ちっぱなしで10時間程これを繰り返すのである。こんなことを続けていたら頭がおかしくなりそうだ。

 

とはいえ、工場での単純作業が精神的にも体力的にも厳しいことは想定内であった。労働時間が長いことも了解した上でこの仕事を引き受けたのだから、今さら文句を言うつもりもない。
だが提示された条件と違うというか、これは先に説明しておくべきだっただろうと言いたくなるようなことも結構ある。

まず従業員の約半分がベトナム人であるということ。それ自体は問題ないのだが、私に業務内容を説明するように言われている者は単語でしか日本語会話が出来ない。私が仕事について教えを乞うても作業工程を説明することが出来ず困惑している様子である。ベテランや責任者クラスの連中はみな日本人のようだが、この人らはベトナム人派遣労働者に新人指導を丸投げしている。どうしてこれほど非効率なやり方をするのか。

もう一つは業務終了時刻になってから日報を書かされるということ。日報には生産数や不良品数を計算して記さなければならない。慣れないうちはこれに時間を取られてなかなか帰ることが出来ない。ちなみにこの間は給料が発生していないらしい。

はっきり言ってこれでは給料に見合わない。三月末に労働契約の更新日があるのだが、私は更新を拒否しようと出勤初日に決めてしまった。それまでは我慢してこの仕事に耐えるしかない。

 

やはり私は長く仕事を続けていく根性を持ち合わせていないのだ。受験から逃げ続けた男は仕事からも逃げ続ける。

 

21歳にもなって未だ実家暮らし。掃除も洗濯も食事も親に頼り、そのくせ家庭に納める額は毎月3万円のみ。
これほど恵まれた環境にありながら低学歴で何の技能も無く、その辺の中学生でも出来る作業でしか金を稼ぐことが出来ない。

やはりこうして惨めな人生を歩むことになったのも全て私自身の責任だ。努力する為の環境は整っていた。私は自らの意思によって自堕落な生き方を選択し、その結果としてかくの如き不遇な現状に甘んじているのだ。
こうなった以上は資本主義社会の敗北者としての自覚を持って謙虚に生きてゆくしかないだろう。私はきっと一生このままだ。冷静に考えて此処から這い上がれるような人間はそもそも此処まで堕ちてこない。

今後は仕事を転々と変えるのは仕方がないことだと諦めて、貯蓄を増やすことだけ考えていくつもりである。金が有ればメンタルに余裕が生まれるはずだ。実家に甘えていられる今がラストチャンスなのだ。ここで時間と精神的余裕を作って、それからどういう人生を歩むか考え直そうと思う。